浪華百景(芝苑本)の復刻


 当協会が編集し浪華百景(芝苑本)の復刻本を上梓しました。 内容は以下のリンクからPDFファイルにて閲覧できます(印刷はできません)。 浪華百景(芝苑本)の復刻は毎日新聞にて紹介されました。

【記事】 閉店した料亭「芝苑」所有の名所絵「浪華百景」  町のロマン語る筆致
新型コロナウイルス禍で店を閉めた大阪の料亭が所有していた名所絵「浪華百景」が復刻された。 幕末から明治初めごろに描かれたとみられ、肉筆画のしっとりとした大阪の町がよみがえった。 所有していたのは大阪・西天満の料亭「芝苑」。2020年5月に67年の歴史に幕を下ろした。 ミシュランガイドーつ星の名店で、将棋の対局場としても知られた。 女将の久島眞知子さんは「コロナ禍で予約が入らず、『従業員にはきちんとしてあげなさい』 という亡き母の声が聞こえた気がして決断しました」と語る。

母ツヤコさんは石川・能登の生まれで、戦後間もなく大阪で、同郷の父信一さんと結婚。 豆腐屋を経て1953年、小さな木造二階屋で芝苑を始めた。眞知子さんが小学2年の時、信一さんが亡くなる。 その時、「一人でもやっていきます」と言い切ったツヤコさんが、子ども心にかっこよく見えた。 「働き者で従業員思い、お客様本位」のツヤコさんは、店を5階建てに大きくし、ミシュラン店に育てた。 「ドラマの『細うで繁盛記』を地でいくようでした」と眞知子さんは振り返る。 12年6月、客を送り出して倒れ、帰らぬ人となった。89歳だった。 その母が大事にしていたのが「浪華百景」。眞知子さんが幼い頃、絵を見ながら 「昔の大阪の町がよくわかる。きれいでしょう」とうれしそうに話す姿を覚えている。 それからは「大事にしてね」と口癖のように眞知子さんに言っていた。

店を閉めるにあたり、「美術館などに預かってもらえないだろうか」と、 なじみ客だった「サラヤ」の更家悠介社長に相談。 更家社長が理事長を務める日本ヨーロッパ・芸術文化交流財団で復刻することになった。 天神祭や道頓堀などの名所や風物詩のほか、通りの真ん中に井戸がある「井戸が辻」や 色鮮やかな「新町太夫道中」など百景が4冊に分けて、つづら折りで収められていた。 画家を示す落款には「周宗」とあった。監修した大阪大学総合学術博物館の橋爪節也教授は 「版画の『浪花百景』など、百景ものは幕末からいろいろ描かれているが、 これは画風や絵の具から、明治に入ってから描いていると思う。 周宗はよくわからないが、幕末から明治の画家でしょう。 肉筆なので、そんなに数は出ていないはず」と解説する。 また、絵について「風景だけでなく、お稽古事など風俗的なものも入っているのが特徴。 肉筆なのであったかみがあり、しっとりした風合いがある」という。

原本には説明が一切なく、地名を記した紙片が挟んであっただけ。 大阪大学大学院生ら5人が約1年半かけて手分けして現地を訪ね、できる限り場所を特定し、古地図に百景の場所をポイント。 1点ずつ画題や絵の表現などの解説を付けた。 調査にあたった小野雄希さんは「天満天神社(大阪天響)は、絵に描かれていた菱灯籠(ひしどうろう)が今もあって、 時代のつながりを感じました」と話す。百景を一冊にまとめた復刻版は100部限定。 非売品で、同財団が「広く人の目に触れて、大阪の良さを知ってもらえたら」と美術館や図書館などに寄贈する予定。 解説は英語とフランス語訳を付けた。眞知子さんは「浪華百景は人のロマンが感じられます。 温かさとか思いやりとか、人は今も昔も変わらない。そんなことが伝わる大阪の風景が、母は好きだったんだと思います。 こんな形で大事にされて、母の笑ってる顔が見えるようです」と喜ぶ。

【目次】

【内容閲覧】
浪華百景(芝苑本)上巻1〜49(印刷不可PDF:5.7MB)
浪華百景(芝苑本)下巻50〜100(印刷不可PDF:5.7MB)

■この記念出版本(非売品)にご興味がある場合は、事務局にメールseisan@maple.ocn.ne.jp)でお問い合わせください。

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